カテゴリ

カテゴリ:ノスタルジ―

カテゴリ:
中学時代、ラジオのリクエストでずっと1位だったアルバート・ハモンドのカリフォルニアの青い空。
本人が歌うのは見たことがあった。ところが米大統領選のニュースを見ているうちに曲名を思い出せなくなってた。

調べているうちに見つけたのが、バリ―・マニロウが歌うカリフォルニアの青い空。

何てカッコいいんだ。映る観客もカッコいいこと。コンサート映像見ていると彼我の差を感じざるを得ない。

バリ―マニロウが7400万枚のセールスを誇る歌手だったことに驚く。同性婚していたのにもビックリ。

45年近く経って歌詞の意味に目を通した。ビフォーに聞こえていたのは It pours "土砂降り”だった。

BarryManilow-It Never Rains In Southern California

「いちご白書」をもう一度のエレキギター

カテゴリ:
IMG_20190616_ストソン
やっと分かった。レコーディングの「いちご白書をもう一度」のエレキギターを弾いている人が。

バンバン「いちご白書」をもう一度の謎に迫るに教えてもらった。
芳野藤丸という人だという。

テレビで聴いたバンバンの演奏はレコードの音とテイストが違うと感じていた。長い間、そんなもんなんだろうと気にしていなかった。

そのうちスタジオミュージシャンという職業の人がいることを知った。どうやらレコードのギターはバンバンが弾いているのではない、明らかに音が違うと思い始めた。

その後、ばんばひろふみがソロになり別のギタリストの音も聴いてきたがやっぱり違う。

検索していたら、木綿のハンカチーフや天城超えのギターもこの人だという。が、「いちご白書」をもう一度ほどの違う味を感じたことはない。

別にバンバンの生演奏を腐すつもりは毛頭ない。ギターのみならず、レコードの伴走すべてが別世界なのだ。ついでに女性コーラスも誰なのか知りたいが分かっていない。

センチメンタル阪神電車梅田発尼崎行き普通

カテゴリ:
IMG_20190428_涙
大阪兵庫間の往来自粛。真っ先に浮かんだのが阪神電車尼崎線だ。
確か梅田発尼崎行き普通というダイヤがあったと思うのだが、錯覚か記憶違いか。
詳しく調べると一日数本だけあった。

言葉で表現できない独特の車内に漂う下町の空気感。こわい目にあったことなど一度もないが、住んでいた沿線の駅では定食屋の親父にからむチンピラ風の客がいた。オッサンの打つパチンコを離れて見ていたら振り返って文句を言われたことがある。

淀川を渡ったビデオ屋では裏ビデオが売られていた。時々通っていた銭湯はまだあるようだ。

10年前、沿線の病院に母が通院していた。スーパーの便所にはトイレットペーパーを持ち帰らないでくださいの注意書きが。今通院している地元の病院にも貼ってあるが。

昨年、阪神尼崎駅の大便所に入ったら、おいおい・・の状態だった。

通勤に使っていた朝8時過ぎの梅田行きの電車に今乗ってみたらと想像したら胸が詰まる。

[生活]
ひと月以上ぶりに掃除機をかけた。

昔好きだった女の惨状

カテゴリ:
 安倍総理
 安倍総理と文大統領がアセアンの会議で訪れていたタイのバンコクでソファで歓談したらしい。
会談の中身はというと・・どうでもいい。

 話は昔好きだった女の話である。昔といっても26年前頃になるか。ここ数年では年に1度くらい、近所で顔を見かける程度である。言葉も交わしたことのない片思いである。

 先日、某所でその年に1度の出会いがあった。ロマンティックである。

 驚いた。頬がコブ取り爺さんのようになっているのである。別の意味で見とれてしまった。

 その頬の膨らみ具合が安倍総理そっくりなのだ。確か、私より5,6歳下に見えていたが、この日は3,4歳年上に見える。
  
 歳月の残酷さを感じずにはいられない。

4/14 僕の家は斎場のそばにあった。

カテゴリ:

【過去】



f:id:stoson:20190414175558j:plain


斎場そばにねじ式の少年が立つ。


 少年時代、斎場のそばのアパートで過ごした。右手の煙突が斎場である。その奥が住んでいたアパート。
 屋上には時々、白装束の燃えカスみたいなのが落ちてきた。僕は人を焼く煙の臭いをかぎ分ける事ができる。


 なぜか深夜に斎場の明かりがこうこうとついていることがあった。あれはきっと〇〇を△△しているのだと大人たちは噂した。


 通学の帰り道、坂道から納棺に来た人が泣いて入って行くのを何度も見た。親戚が多く、移転後の山奥の斎場には何度も行ったが泣いている人を見たことは一度もない。現代の斎場は、すでに日常から切り離された空間だからだろう。


 坂道からしゃがんで中を覗くと、骨拾いで残った白骨の仏さまが見えた。骨拾いで残った白骨は集められ、燃え残った遺品と分別される。この分別の作業場も斎場のそばにあった。


 書いていて何ともすさまじい住環境だと感じるが、すぐ近くに電車の駅やバス停があり、いくつもの高校の通学路にも近接した日常の風景だった。


 友引の日、斎場が休みになると近所の子供たちが場内に入り込みボール遊びをしていた。僕は一度もしたことがない。


 この斎場の写真は検索しても出てこなかった。ストリートビューと記憶をもとに、
つげ義春タッチでねじ式の少年を置いて描いてみた。


 坂道の左側はほぼ昔のまま残っている。斎場跡は公園になっている。


 


 【生活4/14】


 一日、雨。まだ寒い。外出せず。


このページのトップヘ

見出し画像
×