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2019年04月

4/14 僕の家は斎場のそばにあった。

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【過去】



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斎場そばにねじ式の少年が立つ。


 少年時代、斎場のそばのアパートで過ごした。右手の煙突が斎場である。その奥が住んでいたアパート。
 屋上には時々、白装束の燃えカスみたいなのが落ちてきた。僕は人を焼く煙の臭いをかぎ分ける事ができる。


 なぜか深夜に斎場の明かりがこうこうとついていることがあった。あれはきっと〇〇を△△しているのだと大人たちは噂した。


 通学の帰り道、坂道から納棺に来た人が泣いて入って行くのを何度も見た。親戚が多く、移転後の山奥の斎場には何度も行ったが泣いている人を見たことは一度もない。現代の斎場は、すでに日常から切り離された空間だからだろう。


 坂道からしゃがんで中を覗くと、骨拾いで残った白骨の仏さまが見えた。骨拾いで残った白骨は集められ、燃え残った遺品と分別される。この分別の作業場も斎場のそばにあった。


 書いていて何ともすさまじい住環境だと感じるが、すぐ近くに電車の駅やバス停があり、いくつもの高校の通学路にも近接した日常の風景だった。


 友引の日、斎場が休みになると近所の子供たちが場内に入り込みボール遊びをしていた。僕は一度もしたことがない。


 この斎場の写真は検索しても出てこなかった。ストリートビューと記憶をもとに、
つげ義春タッチでねじ式の少年を置いて描いてみた。


 坂道の左側はほぼ昔のまま残っている。斎場跡は公園になっている。


 


 【生活4/14】


 一日、雨。まだ寒い。外出せず。


4/12 釜山の徴用工像で思い出す浮島丸事件

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【コラム】


 釜山の徴用工像を釜山市が強制撤去したそうである。喜ばしい。


 舞鶴には1945年8月に起きた浮島丸事件によって殉難した韓国人のために舞鶴市民が1978年に建てた「浮島丸殉難者追悼の碑」がある。


 日本の敗戦により解放され、韓国人4千名を乗せ青森県大湊港から釜山に向けて帰路につく途中で、アメリカ占領軍から停船命令を受け舞鶴港に寄港しようとした際、爆発が原因で沈没した。


 乗船者の大部分は東北地方での強制労働に従事した者とその家族。死者500名余り行方不明者千数百名の惨事だったという。


『韓国人が知日家になるとき』金昌国著平凡社172pより



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釜山の似てない徴用工


【生活4/13】


 箱根で積雪。 関西でも寒波。


作業服のゴーンに仕事入りました!

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作業服着てたんだろ


 4度目の逮捕。保釈中に逮捕。ここまでやるか、やり過ぎとか、意味がわからないとかいう批判があるようです。容疑がかかることをやり過ぎが正しい。


 年末のメイウェザーといい、ゴーンといい、日本をおいしいお客さんにしているね。


 


 


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